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つかれにゃおーす

  • 執筆者の写真: Kensuke Suga
    Kensuke Suga
  • 7月5日
  • 読了時間: 10分

 ビールには関係ないお話ですが、人によってはは癒やされるかもしれません。

◆野良猫捨て猫

 南あわじは野良猫と捨て猫がとても多く、特に福良~阿万間を車で走るとよく猫を見かけます。生きた状態のものも死んだ状態のものも。

 2024年の春のとある日曜日の午後、近所の若い移住者の方がその道で弱って捨てられている?子猫を3匹拾ってきました。茶虎が1匹、黒虎が2匹でした。茶虎の子はかなりやせ細ってはいますが、よく鳴くしスポイトでミルクをあげればしっかり吸ってくれる状態、黒虎の1匹は相当弱っていて起き上がるどころか目も開けない状態、もう一匹の黒虎はお尻のあたりを鳥かいたちにかなりやられているようで蛆が湧いていて、茶虎の鳴き声に反応するような感じでときどきか弱く鳴いてミルクも少し状態でした。

 拾ってきた本人もすでに自宅で猫を飼っていて、病気等の対策で自宅にその3匹は持ち帰れず、醸造所の敷地まで連れてきました。何もできないなら自然に任せて下手に手を差し伸べない方がいいとは思ってましたができることがなくてもどうしても放っておけない気持ちはお察しします。別にうちに何とかしてほしいと頼んでくるわけでもないし。

 しかしその日は日曜日。開いている病院もないし一晩置いて翌日病院に連れていけたらいこうかなとのこと。私も何もできないなりに協力しようと日曜に空いている動物病院を調べてみるとお隣の徳島県に日曜の夕方でもやっているところを見つけました。残念ながら拾ってきた方は用事があるとのことで連れてはいけないと。それは残念。まあもともと助かる見込みもない命ですから。

 

・・・。

 

・・・・・・・。

 

 「ここで我関せずでいられる奴に美味いビールが作れるかよ!」(注:作れます。)とスイッチが入ってしまった私は猫3匹が入った段ボールを引き取り、妻と大急ぎで徳島へ向かっていました。まだ業務は残っていましたがそんなもんは戻ってから朝まで頑張ればいいでしょう。

徳島の動物病院に着いて受付で猫を見せると、先生が見に来て「順番前後します!」とすぐに2匹の処置が始めてくれました。先に受付をしたお待ちの方も察してくれてます。有難い。2匹というのは実は一番弱っていた黒虎の子が病院に着くまでに亡くなってしまっていました。「こちらで弔っておきます」と引き取ってくれました。

 残りの2匹の処置が始まります。成長していないのでかなり小さいけれど歯の生え具合から生後1か月ほどとのこと。とりあえず2匹とも温めながら栄養剤を与えるもやはり問題は蛆が湧いているいる黒虎の子でした。性別も分からないくらいお尻の穴とお股をやられていて先生は患部にライトを当てながら生理食塩水をかけ、肉から出てきた蛆をピンセットで取るという作業をひたすらしてくれました。私はその間その黒虎の子を抑えていました。先生は「頑張ってるね。いい子だね。」と言いつつづけながら蛆と戦っていました。目が少し潤んでいた気がします。私も次第に感情が入ってきてしまいました。4時間に及ぶ戦いでしたが、まだ蛆は取り切れず。妻は隣の診察室で茶虎の子を看護師さんに言われたとおりに温めていました。翌日は月曜なので南あわじで動物病院に連れていくといいと言われ、また2匹を段ボールに入れて帰りました。猫の名前を聞かれましたが、飼えるわけでもないし情が湧いてしまうのが怖いので無しのままで。

 当時住んでいた賃貸マンションはペットNGなので翌朝まで醸造所の事務所の玄関に段ボールを置くことにしました。お尻の抉られたお肉の中から蛆が出てきたら取り除いていましたが、上手くつままないとすぐにお肉の中に潜り込んでしまいます。ただ処置のお陰あってかミルクは病院に行く前より飲んでくれた気がします。

翌日妻が動物病院に二軒回ってくれましたがいずれも蛆を取り除く等の処置はなく、あとはこの子の生命力にかけるしかないとの判断で、状態はあまり好転しないまま戻ってきました。療養食として缶詰を支給されてきました。茶色の子は結構しっかり元気になっています。

 同じころ猫を拾ってきた人も動いていてくれて、猫を保護する活動をしているを話をつけて二匹を預かっていただけることになりました。夜引き取っていただいて連れて帰ってもらいましたが…その方が自宅に着くころには黒虎の子も亡くなってしまったそうです。亡くなってからですが名前も付けてしっかり弔ってくれました。茶虎の子は元気に成長しているそうです。たった2日間の付き合いですが3匹の小さな命に心を揺さぶられました。

 あの剥き出しの肉というか蛆というかあの独特の臭いが私たち夫婦にはトラウマになっており、ときどきそれに近い香りのトイレットペーパーを買うとその話になります。もうこのトイレットペーパーは買わないようにしようと決めても忘れてまた買ってしまって同じ話をしてしまいます。ずっと付き纏う呪いのようなものでしょうか。

 

◆歴史は繰り返す

 それから1年ほど経ち、ビール醸造も始まってから1年半が経っていました。色々な苦難もありましたが製造量も増え出荷量も増え、前向きに日々を過ごしておりました。私の自宅は福良にあり、シャッター付きの駐車場を借りていました。この駐車場というのが長屋スタイルというのでしょうか、30台分くらいが連なっており、一台一台はトタン屋根で仕切られています。その仕切りの下の部分は少し隙間があって、よく猫が入り込んで駐車場から駐車場を移動するのでシャッターは閉めておくルール?マナー?みたいなのがありました。それでもうちの隣の駐車場を借りてる方はいつも日中シャッターを開けっぱなしにいました。しかし、私は猫が入ってくるなど言う状況に出くわしたことがないので特に気にしていませんでした。

 2025年5月の終わりマンションから近くの一軒家に引っ越しをするべく数日に分けてちょこちょこと荷物を運びだしておりました。引っ越しを直前に控えたある日の夕方いつものように荷物を積もうとシャッターを開けてると「にゃー」と聞こえてきます。前から車の下を覗いても見当たらないし、ボンネットを叩いてみても何も出てきません。部屋に戻り妻に話してまた荷物を積みに一緒に車庫に行くと「にゃー」と聞こえてきます。トランクの方から下を覗くと右後ろタイヤのホイールの中に小さな獣がいます。「うわ!いるわ!」と叫ぶと声に反応してか出てきて向かってきます。「うわ!近づいてくる!どうしよ!」と叫ぶと余計に近づいてきます。触れられてはいけないと思いとっさに軍手をした手で掴んで空き段ボールに入れました。三毛猫の赤ちゃん。痩せこけて震えている。妻はすぐに部屋からバスタオルを持ってきて段ボールの中で包みます。全身にノミがぴょんぴょんしていますが、ケガはしてなさそう。目が開いていない。無理やりこじあけて確認すると真っ黒で私は鳥か何かに目を潰されたのかと思って慄いていましたが、その真っ黒のが眼球のようです。もう子猫の保護がトラウマになっていてすぐに良くないことを考えてしまいますね。

 とりあえず近くの公民館の館長のとこに相談へ。「市役所による引き取りは殺処分前提なので…」とのことですぐに県の動物愛護センターの連絡先を調べてメモに書いてくれました。早速電話をしてみると事情を話すと「受け入れは基本的に殺処分となります。お手数ですがこちらまで連れてきていただいて~~」とのことで「あ、では大丈夫です。ありがとうございます。」と電話を切りました。

 なるほど。愛護とは極楽へ送り出すこと、現世からの解放ということか。よし、それではこの子のためにセンターへ持ち込んで愛護(殺処分)しよう!


・・・・・。


 っっってなるかー!思想強っ!まだその境地には至れない。ていうか隣の人はなんでシャッター開けっ放しにしてたん?そんでうち以外にも車あるのになんでうちの車のホイールに入ってくんねん!一年前に救えなかった子たちの復讐なのか?

 と手詰まりになったせいか一気に心が荒んでいきました。いやでも愛護センターも全部生かしたまま受け入れていたらキリがないですもんね。電話受付の人も苦しいだろうな。「そんならあんたも愛護してやろうか!」って別の過激派の人からのクレームもありそうだしな。そうだ、憤ってはいけない。悪いのは猫を捨てる人だ。

 ・・・なんてことを考えている場合でもない。今度こそは死なせてたまるかってんだ。「にゃあちゃん、大丈夫だからね。」そんなことを言いながら、もう日が暮れるし取りあえずの会社の事務所玄関へ。にゃあににゃあ鳴くのでにゃあちゃんと呼んでしまっていました。この時は何も考えていませんでしたが仮でももう呼び名を付けてしまっては中々取り返しがつきませんね。以前の救えなかった猫用の療養食を与えてヒーターを当ててあげるとぐっすりと眠ってくれました。あまりにもぐっすり眠るので以前の猫を保護したときのことを思い出して死んでるんではないかと不安になってタオルをめくってお腹が動いているのを確認する、というのを何度も繰り返しました。今回はなんとかしてあげたい。とりあえずノミと栄養失調と潰れている目、あと歩かせてみると後ろの足が上手く動かず麻痺している?ようなのでそこもなんとかなったらよいな。

保護されたにゃあちゃん
保護されたにゃあちゃん
醸造所前で歩かせてみる
醸造所前で歩かせてみる

 翌日朝妻が動物病院に連れて行ってくれました。おそらく生後一か月ほどのメス。ちなみに三毛猫はほとんどがメスで、オスだった場合は珍しい縁起物として数十万~数百万の高値で取引されるんだとか。メスか、ちくしょう。

虫落としを処置してもらい、目も汚れやらなんやらがこびりついて固まっているのを綺麗にしてもらって目薬を処方してもらいました。病院では歩こうとはしなかったので足の感じは分からず。関節炎かもしれないとのこと。もしも我々が買うのであればもう少し成長してからお腹の虫下しとワクチンをするので一週間以上してから来るようにとのことでした。ここでも名前を聞かれて妻は何の恥ずかしさがあったのか、「にゃあちゃん」とは伝えずに名前は無いと言ったそうです。診察券の名前の欄は空欄のままでした。そしてその翌日には一軒家への引っ越しも完了したのでトイレの砂やらキャットフードやらを買ってそこの玄関で面倒を見ることにしました。

早速作ったトイレにうんちをしてくれたにゃあちゃん
早速作ったトイレにうんちをしてくれたにゃあちゃん

喜びも束の間、次の瞬間にトイレの外にうんちをしたにゃあちゃん
喜びも束の間、次の瞬間にトイレの外にうんちをしたにゃあちゃん

 拾ってから保護なり病院なりしながら並行して身近な何人かに猫の引き取りに興味がないか当たってみました。なんせ我々夫婦はどちらかといえば犬派(ただ私は犬に並々ならぬトラウマがあり飼うとかは全然考えてはいませんでしたが)。猫を飼うのはなあ。

 しかしにゃあちゃんのお世話をしていくうちに愛着が湧いてしまったのか本格的に引き取ることを考えていました。愛護(家族として受け入れ)する覚悟か、愛護(殺処分・現世からの解放)する覚悟がなければ安易に手を差し伸べてはいけないということ。ようやくその覚悟ができてきました。断固たる決意ってやつができました。診察券にもにゃあちゃんと記入しました。

 目薬を差しているうちに目もぱっちりしてきて、顔も毎日拭いて綺麗になってきました。がりがりだったのも肉付きもよくなって。麻痺しているような足も動き過ぎるくらい動くようになってきました。中々顔を直視しがたかった当初とは見違えるくらい、私情抜きで客観的に見て世界一可愛くなりました。

 夜中に仕事を終えて帰ると玄関ににゃあちゃんがいてズボンによじ登ってきます。仕事前には触るわけにもいかないので、夜は少ない時間ですが目いっぱい一緒に遊びたい。にゃあちゃんと一緒に晩酌すると疲れも吹っ飛びます。ビールか、それ以上に疲労回復効果があるかもしれません。

 今となっては車庫のシャッターを開けっぱなしにしていたお隣さんにも感謝ですしうちの車を選んでくれたにゃあちゃんにも感謝、「覚悟を決めろ」と言ってくれた(言ってない)愛護センターにも本当に感謝です。仮ににゃあちゃんがオスだと発覚して何百万と提示されても譲れません、たぶん。


 

 不思議なもので引っ越すタイミングでなかったら引き取りはできなかったし、一年前の因縁なのか、ご縁ですね。

 救えなかった猫たちの復讐ではなく恩返しだったのか、その子たちがこいつらのとこ行けば病院は連れてってくれるとにゃあちゃんに教えてくれたのかもしれません。強めの思想に触れたせいか柄にもなくおスピリチュアルになってしまいました。

 それにしてもまさか自分が猫を飼うことに、いや、こんな形で家族が増えることになるとは。人生何があるか分かりません。

 皆様の人生にも何か予想だにしない幸福が降りかかりますように!

 つかれにゃおーす!


 
 
 

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